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コラム 灘高校というトコロ (太田勝久)

このコラムは、平成20年2月に発表したものです。

 なお、このコラムの最終段落に登場する「忘年会」は、今にいたるまで一度も欠かさず行われており、平成27年末で16回目となりました。
 平成27年末には忘年会前に灘校の同級生10名以上が集まって、ライトスタッフおよびノブレス・オブリージュの新教室の家具の組み立て等を手伝ってくれました。

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「実は理系に人気なのは京大です」

 灘校生と言えば、みんな脇目もふらずに東大を目指して勉強している、、。そんなイメージをお持ちではないでしょうか?
 実は、灘校の中でも特に理系の成績上位者は、京大志向が強く、東大に行きたがりません。ノーベル賞学者を多数輩出していることからもお分かりの通り、京都大学は、成功するか失敗するか分からない独創的な研究をさせてもらえます。それに対して東京大学では、莫大な国家予算をつぎ込む代わりに、今までの研究成果の応用研究のような確実に結果が見込まれる研究しかさせてもらえません。
 独創的なアイデアを実現させたいがために理系の優秀な生徒が東大に背を向け、京大に向かうのは当然かも知れません。私の同級生で数学オリンピックの日本代表だった者は、東大に行かず、京大の数学科にも行かず、京大の応用生物学科に進学しました。自分の持てる数学の力をもっと人類に身近なところで活かしたかったからです。
 大学受験はゴールではなく、将来の夢への第一歩。皆そう考えて、大学名にこだわらずに進学先を決めているのです。大学名ではなく、そこにいる教授や取り組んでいる研究を調べて、東北大学や、はたまたマサチューセッツ工科大学などへ進学する者もいます。

「授業は勉強ではなく、学問です」

 灘校はさぞかし大学受験対策の授業に力を入れているのだろう、、。
皆さんそう思われていると思いますが、実は、灘校では大学受験の対策授業はほとんどと言って良いほど行われません。
 私の在学中のある年、世界史の先生は一年間かけて「ギリシャとローマ」の話しかしませんでした。また物理の先生はレンズと光の屈折の話だけで一年間講議をされました。どの先生も、自分が何故その科目が大好きなのか、自分の担当科目がいかに奥深いものなのかを生徒に伝えたいのです。世界史の先生は、「ギリシャとローマ」の話を一年間し続けることで歴史のロマンを伝えようとし、物理の先生は「レンズ」という一テーマによって「物理」の真髄を伝えたかったのでしょう。
 英語や数学、国語もそうです。英語ではひたすら色々な映画を原語で観たのを覚えています。キレイな発音ばかりではなくいろいろな地方のなまり、上品な語彙だけではなくスラングのようなもの。生きた英語の勉強になりました。数学では、「問題が解けるのは当たり前。いかにエレガントに解くか」を競いましたし、国語では枕草子や徒然草を丸々一冊テキストにして授業が行われていました。
 先日、学校説明会で教頭先生がおっしゃっていたのですが、授業に遅刻する生徒が2名以下の場合は生徒を叱り、3名以上いる場合には授業の魅力がないとして、先生を叱るのだそうです。大学受験のための勉強ではなく、学問の真髄に触れるための先生と生徒の真剣勝負の場。それが灘校の授業です。
ただ、残念ながら最近はここまで骨太な感じではなく、大学受験を意識した予備校的な対策授業なども行われているようです。古き佳き時代を知るOBとしては少しさびしいところです。私たちの頃は学業もさることながら、体育祭や文化祭の準備に学年縦割りで必死で取り組み、行事の達成感を味わったものなのですが、最近は部活も含め、そこまで入れ込んでやることがない、と現職の先生が嘆いておられました。

「忘年会は研鑽の場」

 毎年12月30日、学校近くの店で同期の忘年会を開いています。平成12年に私が発起人となって呼びかけて、かれこれ8年間続いています。毎年ここへ行くと、頑張っている同級生たちに刺激を受けて、また新しい年を頑張ろうという気持ちにさせられます。
 例えば、ある医師。彼はある年の忘年会で泣いていました。その年、慕っていたお祖母さんを癌で亡くした彼は、「なんでオレは医者なのにおばあちゃんを救えなかったんだ!」と自分で自分を責めていました。このことをきっかけに彼は実際に患者さんの治療をする臨床医を辞め、癌の研究をするために血液内科という科の研究医に転身しました。その翌年の忘年会で、彼はまた泣いていました。「他の医師のみんなが現場でたくさんの人を助けているのに、オレは研究室で何をやってるんだ!悔しい」と。
 また、ある大手建設会社の建築士はある年の近況報告で言いました。「画期的な建設方法を思いついて、会社の上層部にやらせてくれと言っているんだけど、前例がないから、の一点ばりでやらせてくれないんだよ」翌年彼は忘年会で、その建築を実現して業界の賞を総なめにした報告をしてくれました。
 その他にも、産婦人科医として頑張っている者、弁護士として弱い立ち場の人を助けつづけている者、脱線事故の後のJR西日本で逆風の中、建て直しに頑張っている者、さまざまです。
 その同級生たちから、太田がLight Staffでやろうとしている教育は本当に次の時代に向けて必要なものだから、ぜひ頑張って欲しい、とエールをもらっています。「近くにあったら絶対子ども通わすねんけどなぁ。」と同級生に言ってもらえることを、とても励みに感じています。各界で頑張っている彼らからもらえるエネルギーを、ぜひともLight Staffの生徒さんたちにも還元したいと考えています。


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